宝光社(ほうこうしゃ)【戸隠神社】の参拝情報
戸隠神社にある宝光社について、由緒や駐車場・御朱印など参拝に役立つ情報を紹介していきます。
宝光社について(由緒)
五つの戸隠神社のなかで、最も標高の低い場所に位置するのが宝光社です。最初に参拝する人も多いことから、戸隠神社の入口と言っても良い神社です。
杉に囲まれた小高い丘の上に本殿があるのですが、そこに至るまでには270余段の石段を登りきる必要があります。
宝光社 御祭神:天表春命(あめのうわはるのみこと)
御鎮座年代古く第七十代後冷泉天皇の康平元年(1058)に奥社より遷祀奉斎されました。
御祭神は中社の御祭神 天八意思兼命の御子神様で技芸、裁縫、縁結、安産、厄除、家内安全などの御神徳があり、婦女子や子供の守り神としての御霊験もあらたかにして、広く萬民に高大なるお恵みを給う大神様です。
お祀りされているのは、中社の御祭神 天八意思兼命の御子です。かつては奥社に祀られていたのですが、この地に遷祀されたとあります。
宝光社は女性にも参りやすいように建立されたということで、女性や子供を守る神としての御神徳があります。開拓学問、技芸裁縫安産、厄除け、家内安全の神として信仰されています。
宝光社の見所(参拝スポット)
石段
宝光社といえば、社殿までの間にある石段が有名です。全部で270余段と言われており、5つに区切られています。
鳥居を境に、上に3つ、下に2つに区切られ、鳥居より上の3つで193段あります。駐車場に車を停めて社殿を目指す場合には鳥居から入ることになりますので、193段を登る必要があります。
登りきると社殿が現れるのですが、石段の頂上から下を望むと相当な高さにいることが確認できます。石段には手すりが付いていますので、それを使ってゆっくりと登ることをオススメします。
女坂
女性も参りやすいように宝光社を建立したと言われていますが、安産祈願などで参拝する女性にとっては石段を上るのは簡単ではありません。そこで、女坂という、石段を使わずに社殿へ行くことができるルートが準備されています。
この女坂は坂道ではあるのですが、石段を上るよりは少ない負担で社殿に行くことができます。
女坂を進んだ場合には社殿の向かって左側に到着します。
石段は上るよりも下りの方が危険という感じもしますので、行きは石段を使い、帰りは女坂を歩いてくるという方法も良いと思います。社殿での参拝後、石段を見下ろすとかなり急ですから、無理に石段を使わず男性であっても女坂を使いましょう。
社殿の彫刻(装飾)
宝光社は神仏習合時代の面影が強く残る建物で、万延二年(1861年)の建立です。長野市にある善光寺に似ており、奥行きが深く妻入り形式が特徴となっています。
宝光社の社殿には彫刻が施されています。
これは拝殿にある「親子龍」の彫刻です↓。
こちらは向拝柱の「獅子と像」の彫刻です↓。
他にもいろいろな動物の彫刻が施されていますので、社殿を参拝する際には見上げてみてください。彫刻は、宮彫師:北村喜代松の作と言われています。
北村喜代松は、幕末から明治にかけて長野、新潟、富山で活躍しました。
神輿
社殿向かって右には神輿が収蔵されている神輿庫があります。
神輿は新しいものと古いもの2つが飾られており、ガラス越しに無料で拝観することが可能です。
古い方は、文化元年(1804年)に制作されたものです。この時、奥社・九頭竜社・中院・宝光社の四社で同じ形の神輿が造営されていますが、現存するのはここに置かれた神輿のみとなっています。総工費は五百二十二両と言われ、文化十三年(1816年)に修復されています。重さは750キロもあります。
新しい神輿は、七年に一度の式年大祭で天表春命を安置して、父である八意思兼命が祀られている中社まで16名で担がれます。
その他
宝光社には鳥居付近にトイレがあります。
宝光社の場所
宝光社は戸隠神社(五社)のうち、最も手前に位置しています。
戸隠神社へ向かう方法は車(マイカー)かバスがほとんどだと思います。そして、多くの場合には長野市街地から向かうことになりますので、戸隠神社の中では宝光社が最も近い場所ということになります。
宝光社の石段は鳥居前にもあって大きな存在感を持っています。車の場合には大きな石段が目に飛び込んでくることになります。
宝光社の駐車場
宝光社には無料駐車場が完備されています。
駐車場に関しては詳細に解説しているページがありますので、こちらを参照してください。
宝光社の駐車場情報(無料あり)
宝光社の御朱印
宝光社では御朱印をいただくことができます。
写真の行列は御朱印待ちの列です。宝光社での御朱印の上手なもらい方などを別のページで詳細に整理していますので、こちらを参考にしてください。
宝光社【戸隠神社】の御朱印情報!もらい方や料金を徹底紹介